「うそをつくな」と、おれは言わない。
大事なときにうそをつかなければいいのだから。
大事なときとは、自分を不幸にするかどうかというときのことだ。
「くそまじめにやれ」と、おれは言わない。
くそまじめにやって損をすることが多いからだ。
だけど、やらなければならないときは、どんなにつらくても、くるしくても、
やりぬかなければならない。
それは、自分をだめにするかどうかというときだ。
「ケンカをするな」と、おれは言わない。
つまらないことでしなければいいのだから。
つまらないケンカとは、みにくい感情の剥きだしのことだ。
そこからは、なんにも生まれてこないのだ。
だから、ケンカはつとめて避けるがいい。
だが、始めたら、相手の息の根が止まるまでやめてはならない。
「だれとでも仲よくしろ」と、おれは言わない。
ほんとのなかまと仲よくできればいいのだから。
ほんとのなかまとは、
手をにぎりあい、肩を叩きあいながら、
自慢話ができる相手のことだ。
「まちがいや失敗をするな」と、おれは言わない。
大事なことをまちがえなければいいのだから。
まちがいや失敗をおそれてはならない。
おれが言う大事なこととは、
二度と起ち上がれない自分になるかどうかということだ。
意思と体力で支えきれなくなるというときだ。
他のまちがいや失敗は星の数ほどあったにしても、
少しもこわがることはない。
まちがいや失敗から正しく学んでいく限り、自分を高めていけるからだ。
まちがいや失敗を一つもしない人間は、
結局、何にもしなかったやつなのだ。
「いつも正しくあれ」と、おれは言わない。
神様にも動物にもなれるのが人間だから。
正しく美しいものに感動するが、悪いことをまねるのも人間だから。
喜びと悲しみを同時に受けとめることができるのも人間だから。
いつ、どんなとにも、
うんと喰って、うんとたれて、うんと眠るがいい。
そしてまた、力を合わせて働こう。
「親に心配をかけるな」と、おれは言わない。
心と体が丈夫なやつほど、何かをしないではいられないやつなのだ。
そうである限り、なにかどこかで、親に心配をかけるにちがいないからだ。
親を喰らいつくして
思いっきり勇ましく生きてゆけ。
幸せは、祈って待ってるものじゃない。
戦いとっていくものだ。
自分の弱さと醜さを克服していくときに得られるものだ。
自分を大切にできない限り、どうして人を大切にすることができようか。
自分を大切にすることが、同時に多くの人々を大切にすることになる生き方。
それは、人間にだけできるのだ。
そのことが、人間として生まれてきたものの義務であり権利なのだ。
そのように生きていったとき、
おれたちのまわりに人間が発見され、ほんとのなかまもできるのだ。
そのことが、どれほど嶮しくきびしいものであったにせよ、
歩き続けていかなくてはならないのだ。
悲しみも、苦しみも、怒りも
人間の誇りにかえていけ
雨が降っても、曇っていても、見ろ
あの雲の上には太陽がある
詩人会議 1990・8
卒業式の時にみんなに配られた詩です(´・ω・`)
掃除してたらでてきたんで載せてみた